今回の房総半島の旅では、日本神話の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にゆかりある袖ヶ浦・木更津・君津という地域を進んでゆきます。
この地域の旅行を究極に楽しむための知識を、小学生にもわかりやすく解説します!
(内房線)
蘇我駅→八幡宿駅→五井駅→姉ヶ崎駅→袖ケ浦駅→木更津駅→君津駅→大貫駅→上総湊駅→浜金谷駅→安房勝山駅→富浦駅→那古船形駅→館山駅→千歳駅→安房鴨川駅
※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの
木更津・君津を過ぎ行く 房総半島を南へ進む
五井駅(ごいえき、千葉県市原市)を出ると、房総半島をどんどんと南へ進んでいきます。
やがて、
- 袖ヶ浦駅(そでがうらえき、千葉県袖ヶ浦市)
- 木更津駅(きさらづえき、千葉県木更津市)
- 君津駅(きみつえき、千葉県君津市)
- 大貫駅(おおぬきえき、千葉県富津市)
のように、今回メインで扱う日本武尊のエピソードに由来する地域の駅に到着します。


日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にゆかりある地へ
ちなみに、
- 袖ヶ浦(そでがうら)
- 木更津(きさらづ)
- 君津(きみつ)
- 大貫駅のある、富津(ふっつ)
というそれぞれの地名は、いずれも日本の伝説の神様・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に由来します。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、古事記(こじき)などの日本神話に登場する、伝説の神様です。
日本武尊の東国遠征
なぜ房総半島に上陸したのか?
日本武尊は、父の景行天皇(けいこうてんのう)に命じられて、東国(とうごく:現代の関東地方)の遠征に向かいます。
つまり、「東国の敵を倒してクリアせよ」という、まるでRPGのようなストーリーです。
父・景行天皇
ちなみに日本武尊の父の景行天皇(けいこうてんのう)は、第12代の天皇です。
ちなみに、
- 古墳時代の仁徳天皇(にんとくてんのう)は、第16代の天皇
- 飛鳥時代の推古天皇(すいこえんのう)は、第33代の天皇
なので、
景行天皇はかなり古い時代(弥生?縄文あたり?)の天皇であることがわかります。
大和国(やまとのくに。現在の奈良県)を出発した日本武尊は、東へ東へと進んでゆきます。
妻・弟橘姫が、嵐を鎮めるために犠牲に
そんな日本武尊が神奈川県の三浦半島(横須賀市の「走水(はしりみず)」という地点)にさしかかったとき、突然嵐が東京湾を襲いました。
これでは一行は海を渡ることはできません。
そこで妻である弟橘姫(おとたちばなひめ)は走って海に入ってしまい、命を失いました。
これによって、嵐は鎮まり、日本武尊は無事に東京湾を渡り終えて、房総半島へ上陸することができました。
横須賀「走水」の由来
この弟橘媛が走って水に飛び込んだエピソードが、横須賀市の「走水(はしりみず)」という地名の由来です。
ちなみに走水には、防衛大学校(ぼうえいだいがっこう)という、自衛隊の幹部を育成するための、全寮制のとても厳しい学校があります。
妻の犠牲により、房総半島へ上陸
妻・弟橘媛の犠牲により、嵐は収まり、日本武尊はなんとか東京湾を無事に渡って房総半島の木更津・君津の地にたどりつきました。
しかし、自分のために犠牲になっこた妻のことを想うと、日本武尊はいつまでもその海から離れることができませんでした。
「君去らず→木更津」など、地名の由来に
木更津(きさらづ)という地名は、君(=日本武尊)がいつまでもその海から去らなかった、というエピソードことに由来します。
つまり
- 「君(きみ)去らず→木更津(きさらづ)」
という意味ですね。
また君津(きみつ)も同じように、
- 日本武尊=君(きみ)
がいつまでも留まった港湾(=津)であることから、
- 君津(きみつ)
という地名の由来となりました。
袖ヶ浦(そでがうら)も、海に飛び込んだ弟橘媛が着物の袖(そで)が流れ着いた海(浦)ということから、その名前がつきました。
富津(ふっつ)も、弟橘媛の布が流れてきて届いた港湾(=津)であることから、
- 布津(ふっつ)→富津(ふっつ)
となりました。
日本武尊にゆかりある地名は、全国他にもたくさんある
このように、日本武尊に伝承する由来の地域は全国にたくさんあります。
例えば、
- 大阪の羽曳野(はびきの)
- 静岡県の焼津(やいづ)
- 群馬県の吾妻線(あがつません)や嬬恋村(つまごいむら)
などがその類のものです。
詳細は、以下の各記事でも解説していますので、ご覧ください。
東京湾アクアラインの開通による経済効果は、どのようなものだったか
木更津には、東京・川崎と(東京湾の海を)一直線で結ぶ、「東京湾アクアライン」が通っています。
東京湾アクアラインは、東京・横浜エリアと、木更津・南房総エリアを(自動車で)一直線にショートカット移動することができます。
これによって、東京から木更津まで、たくさんの観光客や移住者に来てもらうことが期待されました。
ストロー現象の加速
しかしフタを開けてみると、全く逆の現象が起こってしまい、むしろ木更津エリアは衰退してしまいました。
その理由として、木更津エリアに住む人々がわざわざ木更津の百貨店などで買い物をしなくても、東京湾アクアラインを走る高速バスに乗って、東京まで安価で速く行けてしまうようになったからです(買い物客にとっては嬉しい)。
これは「ストロー現象」と言って、安価な高速バスが設定されてしまったことによって木更津から東京へ人々が流出しやすくなり、木更津地域の衰退をさらに招いてしまったのです。
これによって木更津駅前の「そごう」などの百貨店が閉館してしまうなどの憂き目にあってしまいました。
移住加速により、木更津市の郊外は発展
しかしその一方で、近年は「移住」の流れが加速しているため、東京から木更津・南房総地域に移住を希望する人達の、新しい定住先となるニュータウン(例:海沿いのかずさアクアシティなど)が栄えつつあります。
ニュータウンは木更津駅周辺ではなく、より郊外の(土地が)安くて広い地域(特に沿岸部の東京アクアラインの道路に近い地域)にできやすいわけてす。
そのため、そこから少し離れた木更津駅周辺・駅前の復活には、直接の貢献にはなっていないのかもしれません。
しかしニュータウンが発展すれば、木更津市全体(トータル)では人口増・発展、という結果に結びついてもいるのです。
実際、木更津市の地価は2013年から2018年にかけて、15.4%も上昇したそうです。
これはある意味、東京湾アクアラインが出来た当初の目的を(時代の流れとともに徐々に)達成しつつある、と捉えることもできます。
木更津駅から分岐する「久留里線」
木更津駅から東へは、久留里線(くるりせん)が出ています。
久留里線は房総半島のはるか東海岸の大原駅(おおはらえき、千葉県いすみ市)へ至ることを目的として、明治時代直後の1912年に計画・開業されました。
しかし残念ながら、途中の上総亀山駅(かずさかめやまえき)より先へ延びることはありませんでした。
久留里線は経営がとても苦しく、廃止も度々議論されていますが、沿線の通学客などの住民を乗せるという重大な使命を帯びているため、今日も走り続けています。

君津駅を出発し、次は上総湊・浜金谷方面へ

君津駅を出ると、次は上総湊(かずさみなと)・浜金谷(はまかなや)方面へ向かってゆきます!
おまけ:筆者の写真


富津市には、マザー牧場という大きな牧場があります!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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